中国の理解のために。私の失敗(その1) (No.15)
2001.04.30 これまでは「変わった?変わっていない?」と言う観点で中国を見て来ましたが、 今回からは私の失敗談をご説明し、そこから私が得たものを見て行きたいと思い ます。現在の中国や上海の事情を直接反映しておらず、中国の今を求めておられる 方には申し訳ないのですが、また、私の経験。つまり過去がベースになります。 さて、早速ですが第一弾です。 「普通に出ればいいんじゃぁないですか?」 私が1985年から仕事として中国の付き合いが始まった事は既に申し上げましたが、 仕事を始めてからそんなに時間が経っていない頃のお話です。当時は日中友好商社 に勤めており、年間三分の一は中国にいるような状況でした。そんな時に、商社 が数社。そして、日本のメーカーさんを数名つれて団体で中国各地を転々とする 出張がありました。その時に、ある商社の方がおっしゃった言葉です。 団体で飛行機に乗り、目的地に着いたとき、私は気を遣わなければならないと思い。 メーカーの皆さんへの心遣い(※注)として、「ゆっくり降りればいいのでは ないですか?」と言いました。その言葉に対しての発言です。 私が25,6歳、発言されたのはある商社の35歳ぐらいの方でした。同じような立場で、 40歳から50歳と人生の先輩でもあるメーカーさん方と行動しており、メーカーさん への心遣いの大切さは痛いほど理解されている方でした。別に叱られたわけでは ありません。ただ、たんたんと「普通に」とおっしゃったのでしたが、私は大きな ショックを受けました。自分の発言を訂正されたからではありません。この 「普通に」と言う言葉にショックを受けたのです。事実、それから先、中国との 付き合いが続いていますが折に触れてこの「普通に」と言う言葉を思い起こして います。それも、中国を理解するのにこの「普通に」と言う事がどれだけ大切かを 毎回毎回感じるからです。 確かにそうです。 飛行機が着いて、お出迎えの方も来ている。早く出た方がいいのに決まっていますが、 そうも行かない。でも、何も意識してゆっくり出て行く事はないのです。あくまでも 「普通に」出て行けばいい事なのです。中国の世界に入ってすぐの若造が気を遣った つもりの発言なんて「余計なお世話」であり何も気を遣っている事にならないのです。 同じような経験は皆さんもあると思います。一生懸命気遣ってあれこれ考えたり、 したりするのですが、空回りする。結果は「普通に」している方が余程良かったり します。それでも、考えたり、したりしてしまう。 「普通」。
色々一生懸命に考えた上で、「普通に」する。言うのは易しいのですが実際には とても難しいことだと思います。中国も一つの外国として「普通に」見たり、聞い たりして素直に理解すればいいと思いますが、なかなか「普通に」振舞う事はでき ません。そしてまた中国だから、外国だから、「普通に」していると問題もあります。 つまり、外見は普通に見えるが、その内は「普通ではない努力」をする。そして その努力を常に続けないと「普通に」はならないと思います。 ちょうど良く磨いた鏡のように、波のない水面のように見る目や感じる心が中国 そのものを写すようにしておくことが「普通に」振舞う事かも知れません。そうして おかないと曲がった情報、誤解になるのに似ているかも知れません。しかし、これが また難しい。どうしても偏見や自分の考えの枠にはめようとしてしまいます。それを 日夜感じながら、できないとあきらめずに理解し続けようとしているのが今の私です。 ※注:当時、商社はメーカーさんから商品を売らせて戴く、つまり、立場としては メーカーさんがお殿様で、商社はお殿様に使える家来のような感じでした。ですから、 少しでもメーカーさん方が快適に中国の出張をこなせるようにあらゆる面での心遣い が必要でした。 ======================================== YAMAOKA yoshinori yammy@mti.biglobe.ne.jp http://www2s.biglobe.ne.jp/~yammy/ ========================================「Yammyレポート」 バックナンバー
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