中国は変わった?変わっていない?(その7) (No.8)
2000.12. 10 (その6)で、うちの従業員との会話をご紹介しましたが、変化と言う事で、 次のような事も話題にのぼりました。 最近、街で人が倒れていたり、交通事故にあったり、池でおぼれたりした人がい たりしても、それを助ける人がいなくなったと言うお話です。 こういう状況を中国では「見死不救(人など生き物が死にそうになっているのを見て、助けない)」 と言いますが、確かに、新聞にも出るくらい、最近では問題になっているようです。 新聞に載った例は、ある場所で交通事故があり、警官がパトカーでその事故の直後に通りがかったが、 管轄が違うと言う事で、事故の処理もせず、助けを求めるけが人を病院に連れて行く事もせず、 そのまま立ち去ったと言うのです。 この例では警官が処罰されましたが、今の上海ではこのような例が普通だと言うのです。 ただ、これは単純に昔は人が素朴だったが、今は人間関係が希薄になり、 或いは冷たくなったと言う事だとは言えないようです。 我が社の運転手によると、いわゆる「あたり屋」が最近多いらしいのです。 「あたり屋」とは、故意に交通事故を起こし、お金を取ろうと言う輩です。 今の上海はタクシーが多いです。 雨の日、それも出勤時間にはタクシーがなくて困る事もありますが、 それでも街の至るところでタクシーは拾えます。 タクシーの運転手自身が「最近、上海ではタクシーが過剰だ」と言うぐらいです。 ですから、当然、商売もやりにくくなる。 そこで、何とかお金を儲けようと、外地(上海以外)から来た車に、 わざと事故をするようにして、お金をせびるのだそうです。 「見死不救」とまでは行かなくても、こういう状態だと運転手君が言う意味は、 昔のように素直に人助けをすると、それがかえって不幸を招く事もある。だから、 「見死不救」になるんだと言う事です。 これは日本でも同じですね。 良かれと思い、人助けのつもりでした行為が、実は相手の思う壺・・・ 交通事故で怪我をしたり、池でおぼれたりする人は、まずその様な事はないはずですが、 人の好意につけこんで人をだますと言う事がよくある日常では、 できるだけ係わり合いになりたくないと思うようになってしまうのでしょう。 上海は発展しています。そして、これからも発展し続けるでしょう。 どんどん都会として成長して行くのですから、こういった状況も避けられないのかも知れません。 ただ、私にとって救いであるのは、今のこの状況を嘆く若い中国人達がいることです。 魯迅と言う中国の作家がある本で言っています。 今の中国は色々な問題があるけれど、それを救うにはどうすればいいかと言うと 「救救孩子口巴(これからの中国を担う子供達を救おう)」 詰め込みや、洗脳などでなく、教育により本当の意味での能力を発揮できるよう に、間違った情報に惑わされないように、自分で正しい決断ができるように 今の中国は色んな問題はあるとは言え、確実に若い人たちは育っていると思います。 目の前の変化の過程の矛盾などを必ず乗り越えてくれると思います。 ======================================== YAMAOKA yoshinori yammy@mti.biglobe.ne.jp http://www2s.biglobe.ne.jp/~yammy/ ======================================== 「Yammyレポート」 バックナンバー
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