生活情報 (その2)

生活情報 (その2)

上海体験談(目次) 体験談(No.2)【黄山紀行】  体験談(No.3)

上海から帰ってきた方からの【私の上海体験談】(No.1)

上海から帰ってきた人たちから頂いた、上海最新情報をそのまま掲載させて頂いております。 あなたも「上海体験談」 をお寄せください 。そのままこのコーナーに掲載させて頂きます。なお、掲載させていた情報については、その著作権は「まるごと上海」に属しますことをご了承ください。 ☆ 1999年5月 上海在住の高橋善太さんからの特別寄稿 ・・・【黄山紀行】 (2) 1999.05.08 井上トンヌラさんの、画像付の上海体験談、「上海日記」 (1) 1999.01.08 年末年始を上海ですごされた福岡の泉さんの「上海だより」 (2) 1999.05.08 広島県安芸郡 の井上トンヌラさんから、上海旅行の体験談「上海日記」を頂きました。文章だけでなく画像付ですので、よくお分かりいただけると思います。

【井上トンヌラさんから、上海旅行の体験談「上海日記」】

トンヌラです。無事、上海から帰国いたしました。 毎日日記をつけていたので、それをWORDで入力し直しました。 もっと書きたかったのですが、今後自力をHPを作成するときに付け加えることにします。 少しでも今回の旅の雰囲気が伝われば幸いです。

<4/30 晴れ>

今日から五日間の日程で我々夫婦&友達(メイミー)で上海旅行へ出発する。 途中渋滞もなく、広島空港に到着。出国ロビーに急いでいると、どうも人が多い。 その上国旗をみんなヒラヒラ持っている...周りの人に聞くと「皇太子&雅子」さん がやってくるそうだ。 私とメイミーは嬉しげに旗を5本ももらって待ち構えていたが、どうやら3時の便で着いて、 休憩されて空港ロビーにやってくるらしく、時間の関係で断念する。私達もチェックインすることにする。 団体客がほとんどで、満席らしく、カートを機内持ちこみ出来ないと言われ、渋々預けることにする。 上海経由西安行きの飛行機は定刻に離陸し、定刻に着陸した。 問題無し そのまま空港の航空会社オフィスでリコンファームを済ませておきたかったが、 すでに各社とも閉まっており不可。 バス停を探してさまよい、「上海火車駅に行きたい」とその辺の人に尋ねると「これがそうだ」という。 比較的スムーズに乗車したもののバスは一向に出発する気配もなく、運転手も見当たらない。 きょろきょろ外を見ていると後方でタクシー同士が事故った。 どんどん野次馬が集まってくるがみんななぜか嬉しそう。結局100元払うことで示談が成立した模様。 そこで我々のバスもやっと動き始めた。メイミーの前の席に座った男性が日本語が上手で、 メイミーはここぞとばかりにありとあらゆる質問を浴びせていたが、彼は嫌な顔一つせず、 黄浦江クルーズの時間をケータイで問い合わせてくれたりしていた。そして彼が言うには 「このバスは駅に行かないよ。113路線に乗りかえる必要がある」。なんてこった。 終点のひとつ前で下車してそこで乗り換えらしいが、如何せん終点すら分からないのだ。 一体このバスは何処へ向かっているのか?私達が困っていると、おもむろにバスを止めてくれ、 なんと彼は一緒にバスを降りてくれたのだ。そしてタクシーまで拾ってくれて、お礼を言ってから別れ、 私達は無事ホテルへ向かった。彼の名は「ミスター施」という。ありがとうミスター施。 10分も走るとタクシーはすぐ目的地「新亜長城大酒店」に到着。 3人で7600円の金額の割に新しくて大きいホテルだ。チェックイン時にデポジットが必要だったが、 クレジットカードを渡せばOKだった。859号室の鍵をもらってやっと部屋へゴー。 ここまでに空港からすでに2時間。3人で部屋を物色し、 ホテル案内を見たりルームサービスのメニューをチェックしたりしていた。 立地が上海駅の前なので、非常にアクセスのよいホテルだった。 一服して晩御飯を食べに外に出てみる。ホテルの周りはファーストフード (外資系、中国系)が3件もあり、朝食には事欠かなかった。スーパーも近い。 フラフラしていると暗〜い路地に入りこみ、薄明るい3件の飲食店を発見。 どの店も客引き合戦が激しく、結局一番店内が明るい「長全酒家」に決定。海老の炒め物、 揚げ豆腐のあんかけ、卵チャーハン、水餃子で65元の夕食、 これまでの旅の食費からみると高い方だった。みんな、ただただ食べる。 ホテルに戻ったのが10:00だった。あああ今日は良く眠れそうだ。 ホテル1階で列車の時刻表を見て、売店を冷やかして帰る...

<5/1 晴れ>

せっかく駅が近いのだから蘇州に行ってみようということになり、 今朝は6:00に目覚ましをセットして6:30にホテルを出る。 こんな早朝なのに駅前は祭りのような騒ぎでびっくりした。軟座の切符売り場は7:00からだったので、 駅の食堂で朝食を摂る。私は大肉包と豆沙包(各1元)を食べる。まあまあだ。 切符売り場に戻って見るが、今日の蘇州行きは一枚も残っておらず、 仕方なく明日の7:54発の切符を3枚買う。良い天気なのに出鼻をくじかれてしまったが、 気を取り直して上海動物園に行くことにする。バス停は見つかったものの、 乗りこむ人民パワーに圧倒されてしまい、乗車を断念した。車体も揺れる勢いで、 窓からも席を取ろうとした人が乗り込んでいる始末。呆然と見送り、 地下鉄で徐家匯まで行ってそこからタクシーで動物園に行くことにする。 地下鉄もまた戦争だったが今度は負けずと戦ったので私とメイミーは座れた。 メイミーは「中国人と椅子とりゲームしたら絶対勝てん」と喜んでいた。 メーデーだからなのか何処へ行っても大混雑。 しかも街中が工事中なのでもうもうと埃が上がって空気が悪い。動物園に着くとまた切符売り場で乱闘。 3枚切符を握り締めて戻り、粽(2元)を買って中に入る。園内は想像より広く、 檻と檻の間隔が広いので大疲労だ。園内にはカートが何台か周っており、 5元で乗れるので足に自信のない人はこちらをお勧めしたい。ここで3人はペリカンに生魚(2元) をあげたり、犬の檻にうつつを抜かしたり、トイレで人の入っている個室を開けたり、 観覧車に乗ったりした。朝の行動が早かったので12:00には動物園を後にした。 そして一旦ホテルに戻って休憩しようということになったので、 833のバスを見つけて乗ったのはいいが、あんなバスの乗り方をしたのは生まれて初めてだ。 運転手の横にまで、人が荷物と一緒に座り、とても真っ直ぐ立つこともできない状態。 運転は荒い上に乗り降りがまた大変。結局40分立ちっぱなしで上海駅に到着。 なんだかちょっと生の中国を体験したようで気分は上々。ホテルへ戻り顔を石鹸で洗うと、 汚れが激しいのか泡も立たない。 15:00まで3人で昼寝して、こんどは豫園に行ってみる。人民路あたりでは露店がいっぱい出ていて、 子犬まで売っていた。到着後は「南翔饅頭店」へわき目も振らず直行し、2階で食券を買う。 16個×3ケの小龍包子と蛋絲湯を買い、空席待ちをする。日本人も数人見かけたが、 一様に人民に対して遅れをとっているのが可笑しかった。 何度も割り込まれやっと着席できた私達は熱々のじゅるじゅるを一気に頬張って、 全員口中大火傷を負う。早々に退席し、満腹の腹をなでながら商場を散策。苺の飴がけ(5元) を食べながらとろとろ歩き、そのまま外灘へと流れて行った。 ちょうど夕方の暗くなる時間帯だったので、まるで博多どんたくのような人出だった。 川岸は人民が占領していたので、黄浦江遊覧船の切符を買いに行く。 8:00〜10:00までのクルーズだ。ここで初めて川面を見たメイミーは一言「汚いね」。 時間まで屋台で揚げ餡餅を食べたり、「烏梅」という正露丸風味炭酸飲料を飲んだり、 乞食にまとわりつかれたり、ジュースを持って行かれたりしていた。 私達の買った特等D-1という席は船内のレストランのようなところだった。 外の席には男の子とその一家が座っていて、窓越しに変な顔ごっこをして遊ぶ。 「写真を撮ってもらえませんか?」と若い男性が中国語で話しかけてきた。 そして「1人なので一緒にいてもいいか?」と聞くので4人で片言の中国語と筆談で楽しく過ごす。 彼は韓国から天津の大学に留学中の学生で、もう1週間も1人で旅をしているらしい。 そこへ服務員3人がお菓子を配りに来るが、これまた大笑い。「*△#♪!3個ずつ!@○★□!」 と怒鳴りながらバサバサバサっと投げてよこすのだった。それはチートス&干し杏&爪切りキーホルダ (何故?)だった。メイミーと私は非常に喜ぶ。一時間ほどたったころ、 外の席の男の子の母親が窓を叩いて、「こっちの方がきれいだから出て来い」という。 外は風が強く寒かったが4人で記念撮影をする。10:00前に船は出発点に戻った。 韓国学生の柳君は「上海駅へバスで行く」そうなので、一緒にタクシーでホテル方向に戻る。 「22元で行く」と運転手が言うので合意して金を先払いする。下車後は柳君と旅の無事を祈って 「アンニョン」「サヨナラ」と別れた。 全く腹は減っていなかったが、ホテル1Fの快餐店で皮蛋粥と小龍包子と鮮肉生煎の夕食(15元)を摂り、 ホテルへ戻ると、メイミーは1.2.3でZZZ。私は洗濯。12:00には全員ぐっすり眠ったのでした。

<5/2 晴れ時々曇り>

今日は7:54発の蘇州行きに乗る。軟座なのでゆったりしている。 短期の旅行なので硬座の切符を買う時間的余裕は無かったのだ。車内は外国人: 中国系が半々くらいで超にぎやか。 後ろのアメリカ人37歳と前のちびっこ2人のテンションの高さが尋常ではなく、 車内は歌あり記念撮影ありの大騒ぎ。朝食用に買っておいた包子が腐っており、具合が悪い。 あんこが指先ほどしか入ってない上に酸っぱいのだ。すぐ吐き出す。駅前の屋台恐るべし! 少し脱線するが、駅前では乞食の子供が多く、たいてい日本人を狙って付きまとっていた。 この手の乞食にはカメラ攻撃が効果絶大だった。「来るなー」と思ったらカメラを向けるのだ。 面白いように逃げて行く。 さて、列車は50分ほどで蘇州に到着し、車内の人達とさよならをして、 さあ!帰りの切符を買いに行かねば。客引き合戦の中、大行列の切符売り場に並ぶ。 3人で別々の列に並んだのに「没有」。聞いてみると軟座の売り場は別の場所にあるらしく、 すかさず移動したにもかかわらず今日のは全て「没有」。ここまでですでに1時間。 最後の手段はバスだ!とてくてく歩いて長距離北バスターミナルへ。 3人で仲良く歩いていると、ロシア人っぽい顔つきの少女2人がつけてきている。ふと見ると、 メイミーのウエストポーチを開けているではないかっ。とっさに出た言葉が「何しよんね!」 すぐに離れたが、ずっとこっちを憎たらしい顔で睨み付けていた。なんて奴だ。 あんな嫌な顔をした子供は大嫌いだ。トラブルとは裏腹にバスの切符は比較的簡単に手に入り、 やっと蘇州観光ができることとなった。三輪車のおじさんを探して「観前街」まで1人10元で交渉成立。 分乗したしばらくゆったり街並みをながめる。「宿はあるか?」と聞いてきたので、 客引きも兼ねているようだ。「観前街」に到着したものの、なんと!全面工事中でぐちゃぐちゃ。 がっかりして、綿飴をなめながらなんとなく街をさまよっていると、自由市場を発見。 メイミーは広島弁と電卓を武器に片っ端から値切り倒し、恐ろしく大量の土産を購入していた。 45元の携帯電子遊具を15元に値切っているのを見て、頼もしく思った。 買物疲れでハラペコの私は「過橋米線」の店で一杯6元の過橋米線を食べる。 太いビーフンをあっさり塩味スープで食べるこの麺を私はズハズハ食べた。 食後、タクシーを拾って「宝帯橋」を見に行く。だんだん景色が田舎になってきて、 街中から約30分で到着。あまりに何もない所だったので、タクシーを待たせて歩いて橋を渡る。 運河では運搬船が行き交い、手を振ったり振り返したり...。橋の最終地点では、 地元のおばさん達がヒラヒラを持って歌って踊っている。始めは遠巻きに見ていたが、 写真をとってもいいか尋ねると、快くOKサインを出す。デジカメの珍しさにみんな大喜びで、 記念撮影をして、おばさんの代表に住所を教えてもらって現像してあげることを約束する。 みんなメイミーの八重歯が珍しくて(中国では抜歯するのだろう)見せろ見せろの大騒ぎだった。 さて、バスの時間も近づいてきたので、宝帯橋を引き上げて北寺塔まで行ってもらう。 ここでタクシーとはお別れ。ここまででタクシー代64元。 夕方のせいかひっそりとしていて物売りもしつこくない。最上階は凄い高さでぞっとする。 立っていると、揺れるのだ。古いし木造なので怖い怖い...。 ここでメイミーは偽物のおもちゃの刀を購入し、これは後々トラブルに巻き込まれる種となる。 バスターミナルまで徒歩で行き、途中、蛋焼餅(1元)を食べる。バスターミナルにも土産屋があって、 ここは比較的安く買物ができる。バスはこれまでと違って、高速バスで全席指定。 乗るときにミネラルウォーターのサービスもあり、ビデオ上映をしている。 1時間20分で上海駅付近のバスターミナルに到着したのであった。 近所のスーパーは夜10時まで営業していたので、インスタント食品やお菓子、飲み物、果物を購入し、 今夜はホテルの部屋で食事をする。上海版ケンタッキーもトライしてみたが、 塩味が強くて刺激的なお味。白ご飯が欲しくなる1品であった。12:30には全員眠りに就く。

<5/3 曇りのち雨>

今朝が一番ゆっくりした朝となる。8時前までみんな寝ていた。珍しく朝から腹が減っていたので、 ホテルの向かいのNAFNAFという快餐店で咸漿(1元)油条(1元)シュウマイ2ケ(2元)の朝食。 ここはヒットだった。10:30頃チェックアウトして、最後の一泊は4つ星ホテル「海崙賓館」に向かう。 が、私達を乗せたタクシーは上海駅前てバスと衝突。事故ったのだ。 わらわらと集まる野次馬と運転手同士。私達はたった150mしか進まず下車するハメに。 運転手は申し訳なさそうに別のタクシーを拾ってくれたが、野次馬の1人は「お前達も金を払え」と言う。 でも運転手も「いいから、早く乗れ」と私達を促し、ハラハラ気分で現場を後にする。 いい人でよかった。 チェックインにはまだ早い10:30頃ホテルについたが、そのまま部屋に通される。 ここではポーターが露骨にチップを待っていて可笑しかった。10元手渡す。 一服して3人で絶対に見たかった京劇の劇場まで徒歩で向かう。 途中もちろん寄り道しては買物をしていた。残念ながら京劇の上映はやっておらず、 人民広場の前の商店街を冷やかしながら地下鉄で、康寧マッサージセンターへ向かう。 掃除中のおじさんに道を尋ねて辿り着く。そこは一時間60元の明朗会計。3人とも全身按摩を頼み、 60分間みっちり揉み解してもらう。涼しい室内でうとうとしながら至福の時を味わう。 疲れが一気にとれたような、揉み返しでだるーいようなへんな気分だった。 血行が良くなり腹が減った私達は、去年食べて感動した「鮮肉生煎」の店へ直行する。 店名が去年と変わっていた上に、内装もきれいになっていたが、 食券を買って窓口にならぶシステムもお味の方も去年と一緒で安心。 夫は小龍包子より鮮肉生煎派なので、今回の旅行ではぐるぐる食べまくっていた。 ここから今度はタクシーを拾って小北門へ行く。この辺りは雑貨屋が多いのだ。 運転手は車内で「小北門っ♪小北門っ」と私達に中国語の発音をレクチャーしてくれていたのに、 実際ついてみるとそこは「老西門」だった。彼は一体何処へ行きたいのだろう?まあ、 福佑門自由市場を目指して歩く。この辺りからどーんよりと曇ってくるので不安。 子供向けの文具、玩具店が多く、片っ端から見てまわる。 ただ、この辺は値段の交渉をすると露骨にいやな顔をされたり、商品を取り上げられたりした。私達には適正価格が分かっていないのかもしれない。本当に欲しい物は定価で購入し、店の人から「これはどうだ?」と持ちかけられたものは値切ってみた。途中大粒の雨が降り始めたので、三輪バイクで大世界まで行ってもらう。2人乗りのところを無理やり3人で乗ったので、凄い振動そして凄い遅い。外が見えないので恐怖感が増してたのしかった。15元払い大世界へ入る。ここはもう何といってよいか見当もつかないパラダイス化された場所だった。日本で例えると何になるのかも分からない。いや日本にはこんな場所はないと思う。妖しい匂い、古びた小学校のような建物、潰れかけた場末の遊園地。各ステージが建物の内外にあり、時間ごとに出し物をやっている。文化祭のようだ。雑技もやっていたが、観客はシーンとしていて見ているのが辛くなる。3階のステージではへそ出しピチピチファッションの妙齢な女性3人が歌って踊っていた。私は大世界でトイレを一度利用したのだが、戸無し溝トイレだった。感激してメイミーと向かい合って感動しつつ用を足す。雨はどんどんひどくなり、6:30からの雑技も中止の様子だったので、いちかばちかポートマンリッツカールトンへ行ってみることにする。

タクシーは容赦無く歩行者に水しぶきを浴びせながら目的地へ到着。 外国人観光客と団体日本人旅行者の嵐。切符売り場はやはり「売り切れ」の札が下がっている。 そこへダフ屋がタイミング良くやってきて、2枚あまりがあるという。「3枚でないと買わない」というと、 10分待ってくれという。金額にもよるが、ここまで来ると是非見ておきたかったので、 指示どおり待つ。ダフ屋が戻ってきて、3枚200元で売ろうとする。2階席をだ。 180元まで負けてもらい一枚45元が定価のチケットを15元高値で購入。急いで会場へ向かった。 2階席でも案外ステージから近くてラッキー。1時間30分のショーを堪能した。 ここで感想は書かないことにする。書いても伝わらないからだ。 メイミーは瞬きも惜しんで見ていたのでうっすらと涙を浮かべていた。 夫は夕方から鼻が大変な事になっており、風邪が入ったらしく辛そうだ。 ディスコ行きを断念して遅い夕食をとりに雨の南京東路を行く。近くのホテル3階の点心軽食店へ入り、 ここで久々に米を食べる。チャーハン2皿と点心を山のように頬張る。 夫は食後風邪薬とリポビタンDを飲み、早々に休む。 私とメイミーは最後までディスコに行きたがっていたが、気が付いたら2人とも地図を片手に眠っていた。 明日は帰国だ。むにむに

<5/4 曇りのち晴れ>

最終荷物パッキングと身支度を済ませ、ホテル内で朝食を食べようとした途端、トラブル発生。 セーフティボックスが開かないのだ。確か市外局番でセットしたはずなのに 3回押しても開かぬ上に警報まで鳴り始めて大騒ぎ。フロントに電話しても言葉が出てこない。 結局フロントまで出向いて説明し、日本語ダイジョブなホテルマンに開けてもらう。 申し訳ありませんでした。夫は体調が回復しないので食欲ゼロ。 女2人はモリモリ食らって9:15にチェックアウト。毎回中国を旅行すると、 水のせいでお肌がガッサガサのボロボロになるので、残った中国元てパールクリームを大購入。 美容液をしこたま塗っても無駄だったので、私の顔は小麦粉を塗ったようになっている。 これで帰国後手入れをせねば...9:30にホテルを出発。ここでも4つ星ホテルの高級志向を味わうハメに。 タクシーを呼ぼうとすると、100元かかるという。白塗りホテルカーだ。 重い荷物さえなければ通りまで出てタクシーを拾うのだが、白塗りに乗ることにする。 去年、空港までの大渋滞を経験していたので、今年は早めに出発したのに、 高速道路開通と時速120kのせいであっっっと言う間に空港に到着。チェックインを済ませ、 荷物検査の時点で以前に書いたメイミーのおもちゃ刀が引っ掛かることになる。 おもちゃとは言え、刃の部分は金属製だ。結局危険物扱いとなり、空港で没収。 広島に着陸してからスチュワーデスにもらえ、とのこと。空港で残った元をかき集めて再両替する。 今回の旅行で使用した金額は総額26800円。今まで散々安い買物をしてきたので空港で買う気がしない。 夫はぐったり目を閉じている。可哀想なので10元カップアイスを買って食べさせる。 しかも飛行機は揺れが激しく機内食も食べれないほど酔っている。15分遅れで飛行機は無事着陸し、 メイミーとはお別れ。一方夫は帰宅直後からガタガタ震え始め、熱を測ると38度5分ある。 救急病院に連れて行って座薬を入れられる。始終もじもじしていた。 一昨年北京から帰国した際には私が帰宅直後ぶっ倒れ、2日間検査入院したことを思い出し、 虚弱な身体を呪う夜となった。 井上さん、貴重な体験談に画像まで付けて頂いて、 ありがとうございました。(YoU) (1) 1999.01.08 年末年始を上海ですごされた福岡の泉さんから、「上海だより」として体験談を頂きました。 これから上海に行かれる方々にとって、きっと参考になると思います。

【体験談 福岡の泉さんから、「上海だより」】

上田さんへ。これは知り合いに出した手紙です。もしこれが役に立つなら使ってください。 残念ながらあまり観光の役に立つとは思えませんが。 12月31日から1月3日の日程で、上海,蘇州の旅をしました。 母、姉夫婦、と私。父は2年前に死亡。母が元気なうちに旅行しょうということで。 このツアーは、3泊4日、上海ガニ、食べ放題がうたい文句です。 約90名の人数。通常つかない日本人の添乗員さん達も同乗。 31日午後近くホテルに着くや、日本人と現地の女性ガイドさんから再三、 治安が悪いので注意を受ける。その日は、宿泊地のホリデーインの近くのローソンで、 軽い食事を買って部屋で食べる。その夜は、紅白歌合戦を、BS放送でなんとなく見ている。 もう何年も前からこの歌番組は、見ないようになっていた。 1日、7時に起きて朝の散歩。ホテルの少し先に、貧相なビルが建っている、 その通りを奥へと入って行く。中国人達がワイワイ言いながら路上市場をやっている。 上海がに、野菜、タケノコ、鶏、何でもあり。 興奮して奥くへ奥へと入って行く。 誰れも私を日本人などとは気がついてはいない。油パンを揚げている所に立ちよって、 指で1個欲しいと催促。値段が解からないので、1元紙幣を出す。何と油のにじんだ、 見たこともないお釣の紙幣。1元14円。まだ下のお金が存在してびっくり。 一口食べてみる。よくない。若い中国人は、言葉の分からない私を日本人と気がついたのか、 日本語で、サヨナラ、と言った。私は、肯いた。時計を見ると8時近く、家族といっしょの朝食をと、 ホテルへ急ぐ。すでに上海に来たことに満足。 上海ガ二、なんか最初から私にとってどうでもいいことである。 朝食では、母、姉夫婦に見たことを興奮気味に話した。 10時から観光バスに乗って市内観光、人間の多いのにびっくり。 どこに行っても人、人、人、12億の民の一人に自分がなったことに感激。 道路は、人間、自転車、バス、タクシーが我がもの顔で走っている。 もちろん、広い通りは、信号機はあるのだが、人間や、自転車に乗っている人たちは, 信号機を無視して通る。いや信号機なんかほとんどない。なくても交通事故なんか起こらない。 実に不思議で、すばらしい。ガイドさん曰く、心配ありません。運転は日本人より上手いです。 そうでしょう、そうでしょう、日本人の観光客は、 恐くて大声を上げながらもまだ生きているのだから。 2日 オプショナルツアーで蘇州、訪問。古い都。イタリアのピサの斜塔に似ているあり。 こういう場所は、人がいない時にゆっくり見て回った方が良い。帰路は、朝立ち込めていた霧もなく、 車窓からみる中国の広さに驚く、しかしいたるところに石作りの家やセメント作りの家あり。 アメリカも大きな国だが、田舎に行けば家なんか見ないことが多かった。 中国の指導者たちには悪いが、中国が経済的にアメリカと同じになることはないと、直感的に感じた。 12億の民を食わせるのは非現実的。資本主義になっても、 いや資本主義になれば金持ちと貧乏人の格差が広がり治安も悪くなると思います。 3日 朝早く起き、例の市場に行く、またそこからおくの路地へと、そして、 古ぼけた住まいの近くまではいり、何気なく観察。そこにすんでいる老人達やおばさん達は、 私がいるのを少しも気を止めない。ある年配の女性は、火をおこすのに小さな木を使っていた。 薄暗い雑居住居にはいたるところに下着などが乾してあった。薄暗い部屋には明かりが灯っていない。 ゆっくり見渡して、その場所を離れ、元の路上市場に戻り、石焼きイモ、を買う。 立ったままでイモを食う。上手い。思わず、笑みがこぼれてくる。 福岡と同じ春のような日差しを顔に浴びながら、幸せを感じる。幸せイモを食べながら、 四方の空をみあげる、廻りは日本で言うところの新しいマンションか?それとも公団住宅が建っている。 その建て物に住むのは、ここの住民だろうか?もちろん商売上手な人間は、ここから抜け出し、 金持ちになり資本主義経済の恩恵を受ける者もいるに違いない。が、乞食達も増えそうな気がする。 イモを食べ終わるとイモ売りの青年に手を挙げて別れた。彼は笑顔で応えてくれた。 ホテルに帰り一人で朝食を食べていると、右隣では英字新聞を読んでいる年配者がいた。 自己紹すると、中国系アメリカ人で仕事と里帰り、奥さんが上海出身。江沢民や首相は、 周恩来に比べて劣るね、とその年配者に言った。そして、江沢民が日本に来て、 過去の事は忘れないと言って、金を借り、帰国したことを話した。彼は、金を借りて帰ったことに、 驚いていたようだった。その他アメリカ的資本主義が、 アメリカを貧乏人と金持ちとに二つの階級に分かれさせた、といって非難したが、 年配者は合点が行かないようであった。彼は黙ってしまい、食事を済ますと、席を後にした。 私は、今度は左に座っている極西人に声を掛、自己紹介した。彼はテキサス人で、 電子関係の仕事で上海に来てるそうだ。テキサス人にしては、少しインテリの顔をしていた。 アメリカ人は妬みから、80年代はよく日本人の悪口を言ったが、今、アメリカ人は幸せだね、 うらやましいよ、と私は言う。平均的日本人は、平均的アメリカ人より頭が良く洗練されているよ。 というと彼は、肯いた。しかし、強くて、良い指導者が出ないんだ、と私が言うとテキサンは肯いた。 アメリカは景気がいいが、貧乏人と金持ちに別れてしまったね、というと、 彼は理解しがたいようだたった。先の中国系アメリカ人もこのテキサンも、 レスターサローの資本主義の未来などは、読んでいるとは、思えなかった。 増してやアメリカ的資本主義を疑っているとさえ思えない。ベトナムから何を学んだ、 と少し唐突なことを聞いた、58歳の彼は質問の意味がつかめていないようであった。 アロガント、傲慢にならないように、というつもりで尋ねたのだが。 彼にとってはもうべトナムなんかどでも良いんだろう。 マクナマラのベトナムの本なんか読んでないだろう。それとも、アメリカについて、 自分が知っているのが本からで、現実のアメリカを知っていないんだろうか?話のつぎほが出来なくて、 少し気まずい思いがした、思い直して、アメリカの好景気が永遠に読くことを祈っているよ、と、 冗談交じりに言って別れた。 私の悪い癖で、極西人を見るとすぐ、冗談や辛かったり、しながら相手との話に入っていきます。 それが良い方向に行けば会話は楽しくなるのですが、 さきほど2人との会話はあまり上手く行きませんでした。このホテルにマネージャーとして、 極西人がいたので、自己紹介しました。彼は、オランダ人だと言う。 なんだい、またアジアを搾取するつもりかい、と言うと、彼は、笑いながらそうだよ、 と言った。僕つられてニタリとしました。この手の会話が実は、私は好きなのです。 PS 私は、この路地裏を見ている時、少なからずここの中国人に対して優越感を感じる事がありました。 それを打ち消すかのように、それがどうした、みんな頑張って生きてるんだ、と心の中で叫びました。 俺だってたいして変わらない人間じゃないかと。そしてここの人達から勇気を得ました。 私にとってよい旅でした。 泉潤太さん(fwjd9262@mb.infoweb.ne.jp)、貴重な体験談ありがとうございました。(YoU) 上海体験談(目次)へ

タグ

上海の医療費も調査。
上海旅行ならこの年会費海外旅行保険クレジットカード特集

上海関係広告

上海への格安ツアーの最安値をチェック

上海への格安航空券の最安値をチェック


日本と中国が携帯メールで繋がる
日本⇔中国で
携帯メールやりとりが可能