第六回 金山農民画の歴史(下)

第六回 金山農民画の歴史(下)

陳徳華さんの作品金山農民画の特徴である構成の破壊と鮮やかな色使い。
これら目に見える形での特徴の他に、金山農民画には
もうひとつ目に見えない大きな特徴があります。

それは、金山農民画は、指導員と画家との
信頼関係で描かれる絵だということです。 

「指導員は、絵の中に画家個人の個性を見出し、
 それを伸ばす。画家は、自分の個性に気づき、
 それを絵の中に描ききる」

金山農民画はこの関係性の中で描かれ、引き継がれてきました。そのため、
金山農民画には基本的な構成指導の他には、これといった描画指導はありません。

絵はあくまで画家の個性を発揮する場所。金山農民画は、画家が指導員に一方的に
絵を教わるのではなく、その画家だけがもっている個性を求め、絵を通して
画家と指導員が対話しているようなものなのです。

こうした指導方法は中国では珍しいことだと思いますが、呉さんも構成の基本以外は
一切農民たちに好きなように描かせたそうです。その結果、切り絵を長年やってきた人は
それらの経験を絵に反映し、刺繍をやってきたひとは、その要素を絵に反映する
―というように、個性あふれる作品たちが誕生することになったのですね。 

切り絵の造詣が深かったインスディさんの作品
(切り絵の造詣が深かったインスディさんの作品。彼女は既に故人だが、
第一世代の農民画家の中では天賦の才能の持ち主として今でも高い評価を得ている)


陳徳華さんの作品
(民間伝承を好み、それに関する作品を数多く発表してきた陳徳華さんの作品)

そういえば、私も陸先生に絵を教わっているときに、先生に私の絵の一部を見て
私がどんな生活を送っているかをズバリと言い当てられたことがありました。
画家がどんな人間なのか、絵を見ればわかるんだそうです。すごいですね。 

さて、呉さんの指導下で、金山県文化館の農民画学習班としてスタートした金山農民画ですが、
金山農民画社を経て1989年に金山農民画院へと発展しました。当時はお金がなかったので、
鶏小屋が教室だった...という微笑ましいエピソードも残されていますが、
後に現在の場所に立派な施設を建てています。 

絵を描く農民たち。写真提供;陸永忠さん
(1980年代、絵を描く農民たち。写真提供;陸永忠さん)

現在の金山農民画院
(現在の金山農民画院)

1980年に北京の中国美術館で展示が行われた他、90年代になると
香港や日本などでも展示が行われ、たくさんの農民画家が育成されました。

その中からは1996年にユネスコから第一級民間芸術家として認定された張新英さんや、
1998年に世界最長の農民画を描いてギネス認定された陸永忠さんなど、
国際的に著名な画家も輩出されてきたのです。

最近では第一世代の画家たち(純粋な農民)が高齢化し、第二世代(農民画院が指導育成)、
第三世代(第二世代の画家たちが指導育成)の画家たちが制作活動の主流となっており、
平面にこだわらない作品も増えてきました。 

現在、金山農民画院は国家文化部より「5つ星画廊」「中国農民画の郷」と称せられ、
金山農民画は上海市政府の「非物質文化遺産」に認定、20名の画家が金山農民画師として
認定されています。

この末席に、私くしコトータケヒコが日本人第一号(というより外国人第一号らしい)として
名を連ねようとしているわけです。自分で書いててなんだか緊張してきましたね...! 

ざっとですが、金山農民画の歴史をお話させていただきました。
いかがでしたでしょうか...?

次回より再び農民画の描画の話に戻ります(続く

金山農民画家への道 バックナンバー

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コトータケヒコ
上海在住の会社員。仕事の傍ら週末に金山に通い、
農民画家・陸永忠に師事。09年5月金山農民画院より
外国人第一号の金山農民画師に認定。日本農民画協会会員。
ホームページ(移転しました):http://nominga.net
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カテゴリー:金山農民画家への道

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